6月に入りましたが今月は久々となるDugoの新作EPのリリースがあります。来週にもお知らせできると思いますので是非ともご期待ください!
さて最近はあえて日常的に読書する時間を習慣的に作るようにしているのですが、色々と読んだものの中でも特に10年に一度と言っていいくらいの感銘を受けた村上隆さんの「芸術起業論」とその続編の「芸術闘争論」それと「想像力なき日本」についての書評を書いてみようと思います。
まず第一に世界の現代美術業界においては村上氏は数少ない日本人として評価されている作家であり、なぜ自分がそのような状況を築けているのかというと「欧米の現代美術界のゲームのルールに沿って闘っているから」だというのです。
「芸術にルールなんてあるの?心の思うままに自由に表現するのが芸術なんじゃないの?」と素人は思いがちですが、西洋美術界には括弧とした歴史と、それに準じた芸術のコンテキストとルールがあり、それを踏まえた上で批評性、ルール破り、そして新しいゲームの提案があるかどうかが評価の対象になっているというのです。そして作品の価格の推移はマーケットの意向次第であり、作品の出来不出来には全く関係ないというのです。マーケットの思惑次第である以上、作品に紐付いた何かしらの複合的なコンテキストであったり、ストーリーであったり、単にサプライズや意外性ですらも価格に反映していきます。
そして日本の現代美術界は全くこのようなことを理解しようともせずに、自国内での美術予備校、美大や芸大の権威、その権威に迎合して授業料を納める学生、つまり次世代の権威予備軍、それらの循環によるエコシステムであり、門外から西洋美術をパクったり、批判したり、憧れていたりするだけのものだと断罪しているのです。
自分が特にこの話に興味を持ったのはこれが音楽業界にもそっくりそのままあてはまると思ったからです。インターネットのストリーミングが音楽産業のメインになって以来実質的にCDやダウンロード販売がメインだった時代とは競争や評価基準のルールが根本的に変わっています。システム上のルールが変わったことで音楽家の活動形態や評価基準も変わったのですが、世界中の同業者と全く同じSpotifyというフォーマットで闘うことになって初めて西欧諸国の実態が見えてきたのです。
以前は日本語で書かれたメディアか日本語に翻訳されたメディアの情報だけを踏まえて世界の音楽事情だと思っていたものが、ほとんど氷山の一角でしかなかったとわかってしまいました。そして彼ら西欧のアーティストのプレゼンテーションスキル、そしてその方法の多彩さと誠実さを知り、以前はうっすらと日本とも繋がっていると思っていた世界が完全に隔絶したものだと知りました。
加速度的に日本国内市場がシュリンクしていく今の状況においては自分の様な零細音楽家も今後はグローバルのマーケットで幾分かのシェアを獲得すべくゲームのルールを知った上で闘う必要があります。実際にグローバルな戦場で勝ち残ってきた村上氏の一言一言が凄まじい説得力と重みをともない、1ページごとにうんうんと強く頷きながら読み進めていきました。