Takahiro Izutani

2015年10月

ヨーロッパ・ツアー 3 FreakShow ヴュルツブルク

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ツアー最終日はドイツのヴュルツブルクに移動してFreakShow Artrock Festivalに出演です。今回のヴェニューはサッカー場に併設されたホールを借りきって使っているので広めの会議室が楽屋になっており、そこから食堂と客席、ステージのまわりにかけて常にオーディエンスがウロウロしてる中でのサウンドチェック。で、用意ができたら即演奏という超ラフなスタイル。機材のセッティングをしながらも話しかけてくるお客さんと世間話したりというなかなか経験できない状況でしたw 今回のツアーを通じて全ての会場がいわゆる営利目的の常設されたものがひとつもなく、イベンター、オーガナイザーのDIYの精神が強く反映されたものばかりなのはとても印象深かったです。また今回のFreakshowはいわゆるフェスとしてはとても小さい規模で、かつオーガナイザー、アクト、オーディエンスが全く対等な立場で接する場になっており、それぞれの立場の人達がみな少しづつ協力し、少しづつ責任を果たしながら全員が少しの利益と大きな喜びを得られる場にしようとしているのがとても素晴らしいと思いました。

今回は僕ら以外は全てヨーロッパ出身のアーティストでしたが、先週のRIOからそのまま移動してきたバンドや、メンバーが入れ替わった別ユニットとしてRIOから移動してきた人もいました。アヴァンロック、プログレのマーケットは世界中にあるとはいえ当然とても小さいものです、しかしながら世界各国に猛烈にマニアックかつ熱狂的なファンの方々がおり、彼らがネットワークを作り遠隔ながらも強固なコミュニティを形成することでアーティストが持続的に活動することを可能にしているんです。これだけCDのマーケットが縮小するなか。今回のたった3回のHFのライブではCDもTシャツも飛ぶように売れており、かつ多くのファンがCDにサインを求めてきてくれました。また「アナログは作らないのか?」というのも何回も聞かれました。

HFが所属するアメリカのCuneiform Recordsは設立から30年、アヴァンギャルド系の音楽ばかり数百タイトルをリリースして今なお安定したセールスを保っているのはこうした強固なネットワークとコミュニティのお陰なんだろうと身を持って知ることができました。それともうひとつ日本の状況と違うのは芸術活動に対する政府からの助成金です。イタリアなどではどんどんカットされる方向にあるそうなのですが、まだドイツ、フランスでは大きなサポート力があるようです。その代わりに著作権管理団体の影響力もかなり強いらしく今回行ったすべての会場でフランスSACEM、ドイツGEMAにそれぞれ全ての演奏曲と作曲者を報告する提出書を作成しました。また売り上げにかかる源泉徴収率も日本よりも遥かに高いようでした。

総括して日本の状況と最も違うと思ったのはバランスのとれた成熟さというところでしょうか。日本のライブシーンはまだまだ若い感覚で動いているシーンで「こういう形でなければダメなんだ」という真面目さが良くも悪くも強いのかなと思いました。もう到底若いとは言えない自分にとってはヨーロッパのシーンはちょっと居心地の良いシーンかも知れないと思えましたw
真ん中がオーガナイザーのチャーリーさん。60過ぎの超ファンキーなオッサンでしたw

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ヴュルツブルクの旧市街は今まで行ったことのあるヨーロッパの街の中でも屈指の美しさ。戦争でほとんど崩壊した街並みを後にそっくりそのままに再現したんだそうです。

ヨーロッパ・ツアー 2 Kafe Kult ミュンヘン

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前回のRIOのあと一旦パリに行き観光や別件の仕事のミーティングを済ませた後に2発目のショーはドイツのミュンヘン、前回とはうってかわってアンダーグラウンド感満点のハコKafe Kultにて。元々この区域一帯はドイツ空軍の病院施設だったところで、そこが開放されてからアーティストやミュージシャンなどが集まるコミューンのような形で人が多く集まる場所になっていったんだそうです。以前ベルリンに行った時のブログで変電所を居抜きで改築したクラブの事を書きましたが、ドイツでは旧東ドイツ時代の施設を利用したヴェニューやギャラリーがとても多いです。Kafe Kult以外にもこの周辺の広い敷地内には何棟かの建物があり、普通に住んでいる方もおられるようでした。オーナーのハーバートさんとは渡欧前に打ち合わせをしたかったのですがネット完全NGな人ということで常に間に人を介しての連絡だったということもあり、筋金入りのヒッピーを想像していたのですが、お会いして色々話していると実に落ち着いた知的な人物で、しかしながら筋金入りの鬼畜系音楽マニアではありました。ハーバートさんは大学ではコンピューター理論を専攻し、かつてはコンピューターの技術系の仕事をされていたそうなのですが、ある日全てを変えたくなりここに居を構えてネット圏外での生活を選ぶことにしたんだそうです。今ではKafe Kultのサイト宛にくるメールも3ヶ月に一度程度しか開かないそうですw

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この日はHFと地元ミュンヘンのテクニカルフュージョンバンド7for4の2アクト。ありがたい事に前回のフランスのRIOフェスティバルからそのままミュンヘンにも僕らを見に来られた方も何人かおられました。

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ハーバートさん、ドラマーナガセ、お名前を失念したイタリア人スタッフの方。

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膨大なジャンルのコレクションがありましたが、なぜか僕には70sのダークアンビエントとサイケの中間みたいのばかりを薦められましたw

Kafe Kult - putting munich back on the map since '99 from mpeG on Vimeo.

ライブ終了後はハーバートさんやお店のスタッフ、常連さんと飲んでマニアックな音楽談義。次の朝も車で市内を少し案内してもらいました。
ミュンヘン中央駅周辺は多人種のるつぼ、例の難民の仮宿泊施設や駅前に陣取る報道関係者などもいてザワザワしていましたが、少し中心部から離れると素晴らしく美しく整然としたヨーロッパの街並みが保たれていました。

つづく

ヨーロッパ・ツアー 1 Rock In Opposition


Happy Family初の海外ショートツアーの一日目はRock In Opposition Festival。フランスのトゥールーズから車でぶっ飛ばして1時間半ほど。アルビとカルモーという街の中間くらいの位置に特設会場と宿泊施設がありました。この場所は鉱山の施設として使われていたそうなのですが、主催者のMichel Bessetさんは二十年ほど前に付近一帯を買い取り、コンサート施設、アスレチックレジャー施設として改装して運営されているそうです。このフェスではアヴァンギャルド系のアーティストばかりがアメリカ、スウェーデン、フランス、ベルギーなど様々な国から集まっていました。お客さんの方も各国から来られてる方が多く、直接話しをしたひとだけでもスペイン、ドイツ、メキシコ、モロッコ、アメリカ、ロシア、チェコなど様々な方がおられました。HFの出演は三日間のプログラムの中で三日目の夕方、機材チェックとサウンドチェックを一時間ほど念入りに行ったあと30分後に一時間のステージをこなしました。ステージ上のモニタリングのし易さとオーディエンスの反応の良さなどもありここ一年ではベストとも言えるライブができました。ライブ後にはプレスカンファレンスも行い、約20人ほどの取材の方を前に活動状況や今後の展望、日本のプログレッシブ・ロック、アヴァンギャルドロックのシーンについて説明させていただきました。今回は演奏すること以上にお客さんやスタッフ、共演者の方々との交流がとても新鮮かつ有意義で、日本のアーティストとしてどういうアティチュードで活動しているのか、日本には他にどんなアーティストがいるのかなども聞かれましたが、このツアーを通じてどの街にいっても必ず日本の政治的な状況、それも原子力行政のことについて聞いてくる人が何人かいました。このRIOの会場では特に質問されることが多く、物販をしている時にあるフランスの老夫婦から質問された際には僕が答えて説明しているうちに周りから興味を持った方が集まってきて、いつの間にか十数人を目の前に演説している様な状況になっていました。昨年Michel Bessetさんが日本に来られた時に「ライブの際に政治について話すことはフランスではごく普通のことだよ」と言われていたことを思い出しました。ヨーロッパではアヴァンギャルドで反商業主義的な音楽家の活動というのは政治的なアティチュードと不可分なんですね。原子力行政の質問をされる際には毎回、日本のエネルギー安全保障、産業コスト、核技術の兵器への技術転用の可能性による軍事的抑止効果、あとはメタンハイドレートなど新資源の可能性について説明しました。質問してきた方の多くは即座に全てを止めるべきという僕とは異なる意見の方だったのですが、それでも日本人と直接意見交換ができたと感謝の言葉をいただきました。全てにおいてヨーロッパの社会、人々の成熟ぶりをズッシリと感じる日でした。


不安だったプレスカンファレンスも何とかこなせました。英語で質問され英語で回答、それをまた司会の方がフランス語に翻訳してアナウンスするという形式でした。

つづく